閑山海戦を除く全ての海戦は日本軍を奇襲攻撃するゲリラ戦法であったが、閑山海戦は朝鮮の連合艦隊と日本の水陸連合艦隊との、両国の主力艦隊間の総力戦で、朝鮮にとっては国の存亡が、日本にとっては戦争の勝敗がかかわる決戦となった。
閑山大捷はBC 480年、テミストクレス提督がペルシアのクセルクセス大王の強力な侵略軍をサラミス海峡に誘引し、殲滅した世界初の大規模な海戦であるサラミス海戦、1588年にイギリスのホーエット提督がエスパニアの無敵艦隊を破り、イギリスが日の暮れない世界海洋大国へと浮上する機になったカレー海戦、1805年にイギリスのネルソン提督がフランスとスペインの連合艦隊を壊滅させてナポレオンのイギリス進出を阻止したトラファルガーとともに世界4大海戦として評価されています。
世界4大海戦の中でも李舜臣将軍の閑山大捷が最も素晴らしい海戦として評価されていることは世界海戦術の専門家が認めており、李舜臣将軍の海戦は国からの全面的な支援を受けられない状態で連戦連勝の勝利を収め、日本の海軍は閑山海戦で破れた後約300年間の低迷期を経た。李舜臣将軍の勝利がなかったなら、1910年の日本による韓国併合や中国侵略は300も前に起きただろうと評価されるからです。