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三韓時代
伽耶(カヤ)時代
三国時代と新羅(シンラ)時代
浦上八国のうち古自国、または古史浦に属す、後に古自郡(現固城)を設置する。
統一新羅時代
742~764年 (景德王の時代) 古資郡を固城郡と改称する。
757年 (景德王16) 固城郡の九州のうち、康州(現晋州)に属す。
高麗(コリョ)時代
995年 (成宗14) 山南道の固州刺使(固城縣が昇格する)に属す。
1018年 (顯宗9) 巨済縣に属す。
1275~1308年 (忠烈王) 南海縣に併合され、後また元に戻る。
朝鮮(ジ ョソン)王朝時代
1604年 (宣祖37) 三道水軍統制営を巨済縣頭龍浦(現統営市)に移して設置する。
1617年 (光海君10) 頭龍浦が固城縣に委嘱され、春元面と改称する。
1869年 (高宗6) 春元面の戸籍関係の分類のため翌年に固城府治を統営城内に移す。
1872年 (高宗9) 固城郡春元面として元に戻る。
1895年 (高宗32) 統制営を廃す。
1896年 (建陽元年) 固城地方隊を設置する。(1907年に廃隊)
1900年 (光武 4) 鎭南郡を設置する (統制営址全域と固城郡の道善面、光二面、光三面、巨済郡の加佐島、閑山島)。
1909年 (隆熙3) 龍南郡に改称する。
日本の植民地時代
1914年 龍南•巨済両郡を統合して統営郡と改称し、春元面を統営面と改称する。
1931年 統営面が統営邑に昇格する。
1936年 統営邑の区域を拡張する (統営面一円と山陽面の美修里、鳳坪里、道南里、堂洞里、仁平里、坪林里)。
独立後
1953年 統営郡から巨済郡が分離する。1邑(統営邑)6面(龍南, 光道, 道山, 山陽, 閑山, 遠梁)
1955年6月29日 統営郡遠梁面が欲知面と蛇梁面に分離する。
1955年9月1日
統営邑が忠武市に昇格して統営郡と分離する。
忠武市 : 20洞(道泉, 西湖, 明井, 港南, 中央, 文化, 太平, 東湖, 貞梁, 北新, 坪林1.2, 仁平1.2, 堂, 美修1.2, 鳳坪, 道南1.2)
統営郡 : 7面(龍南, 光道, 道山, 山陽, 閑山, 欲知, 蛇梁)
1967年 統営郡光道面に安井出張所を設置する。
1973年 統営郡の龍南面霧田里を忠武市に編入する。(行政洞-北新洞)
1973年7月1日 南海郡の葛島が統営郡に編入。
1985年 忠武市霧田洞が北新洞から分離して行政洞となり、仁平1洞と仁平2洞が合洞する。(20洞)
1995年1月1日 忠武市統営郡を統合、都農複合形態の統営市を設置(7面20洞1出張所)
1995年3月2日 山陽面が山陽邑に昇格する。
1995年5月1日 行政洞のうち文化洞•中央洞を文化洞に、坪林1.2洞を坪林洞に、道南1, 2洞を道南洞に統合。(1邑6面17洞1出張所)
1998年1月1日 行政洞のうち明井洞•西湖洞と坪林洞のうち旧坪林2洞を明井洞に、港南洞, 文化洞, 太平洞を中央洞に、貞梁洞, 東湖洞を貞梁洞に、仁平洞と坪林洞のうち旧坪林1洞を仁平洞に、道泉洞, 堂洞を道泉洞に統合。(1邑6面11洞1出張所)
1999年8月16日 行政機構統合によって安井出張所廃止、光道面統合(1邑6面11洞)
2010年12月31日 行政洞のうち渡泉・仁平洞を道泉洞に、美修1・2洞を美修洞に、鳳坪・道南洞を鳳坪洞に統合(1邑 6面 8洞)